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Timeless Sleep

「CLOCK ZERO~終焉の一秒~」を中心にオトメイト作品への愛を叫ぶサイトです。
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2話目。
雲行きがあやしいお二人。


 
 
 
 
 巧みな話に耳を傾けていたから、顔が間近にあることをさして疑問に思わなかったのだ。
 裏口で掃除をしていた。空気が変質したことだけ肌でわかった。
 気付いたときにはこめかみに指を宛がわれて、ふかく唇を塞がれていた。
 
 ――待って、ほんとにごめん。君のことが……好きなんだ。
 
 涙まじりの声でそんな言葉をいまさら告げられて、頭を下げられて、それ以上責め立てることは撫子には出来なかった。溢れかけていた涙は行き場を見失い、撫子の胸の内で渦を巻き、痛みを放ちながらわだかまっていた。
 
 
 
 
 触れるだとか触れさせるだとか。裏切りと呼ばれる類の行為が、自分の意思の介在しないところから生まれ出て、気付いたときにはもう過去になっている。それはとても理不尽にも思えたけれど、同時にそんな風に脆く傷つきやすいものだからこそ、大切にしてゆく喜びも持ちうるのかもしれない。
 
 何をもってして裏切りと呼ぶかは人によるのだろう。不意をつかれただけなのだから悪くなどないのだと、唇が触っただけと、昔馴染みの友人たちはそんな風に撫子を慰めてくれるのかもしれない。けれどどんな免罪符があったとしても、心は重みにたわんで、悲しみと後ろめたさに千々に乱されている。それが答えだ。
 どうして大したことではないと、自分は悪くないと言えるのだろうか。
 同じ触れ合いを、長い時間をかけて幾重にも積み重ねてきた。それはどれも喜びにあふれた、かけがえのない温もりで。
 
 
「どうかしたんですか?」
 
 かしゃんと乾いた音がして、撫子は顔を上げた。見ればふっくらと焼き上げられたチーズケーキの皿の上に零れたフォークが伏している。ひどく混乱している自分をどうしようもなく気付かされながら撫子は唇の裏にそっと歯を立て、フォークを取り上げた。
 
「さっきから上の空ですね。あああれですか? きのうのこと怒ってるんですか?」
 コーヒーを煽りながらの円の視線が、縁からかすかに覗いてながれてくる。
「そんな――違うわ」
 きのうのこととは、彼が立て込んでいたと待ち合わせ場所に遅れたことだ。雪に降られながら十五分ほど待っていれば彼は現れて、いつものように撫子を自宅まで送り届けてくれた。怒ることがあるとすれば、それは終始会話に身が入らなかった自分に対してだ。
 こくりと喉を鳴らしてカップを置きながら、円は口先で笑んだ。
「ならいいですけど」
「あっ――も、もしかしてそれ口にあわない?」
 
 切り出すきっかけを探しながらケーキをフォークに差し入れると同時に、央の明るい声が聞こえた。顔を上げれば、困ったように微笑んでいる混じりけのない笑顔が目を射た。
 
「それはないですよ。央のチーズケーキならホールでも食べきりますよこのひと」
 一瞬惑った撫子の先を促すように、円がいつも通りの口をきく。
「えっそうなの!?」
「う…? それはちょっと大変かもしれないけど…央のケーキはいつもおいしいもの」
「そう。照れるなあ、ならよかったー」
 
 ふんわりと相貌を崩す央に気持ちが緩む。
 考えてみれば、穏やかな喧騒をはらんだ彼の店で話す内容ではないだろうと撫子は喉元まで出かけていた言葉を飲んだ。けれど、と情けなくなる。話すべきタイミングは昨日とうに訪れていたのに、雑多に散らばる言葉を上手く編み上げることができず、情けなさにただただ歯噛みしながらそれはいまでもままならないのだ。
 
 ――いーですか、気をつけてくださいよ? 
 
 ――ぼくも含めて、男なんてみんな信用ならないんですから。貴女みたいな若くてきれいな女が目の前にいれば、隙あらばどうにかしてやりたいって思い巡らせてるものなんです。
 
 手をとりながら真白い雪を柔らに踏んで、いつか円はそんなことを言っていた。あんなにも気遣わしげだった声に頷いておきながら、警戒というものに欠けていた自分にも非があるのは明らかだ。
 
「ねえ。でもほんとにちょっと顔色悪いよ? 熱でもあるんじゃない?」
「えっ……」
 訝るような呟きとともに、滑らかな掌が撫子の額にあてがわれる。思いがけなくひんやりとしたつめたさの大きな掌に包まれ、反射的にちいさく肩が跳ねた。もう一方の手を自分に寄せ、瞼を伏せて央は首を傾ける。
「んー? 熱はないみた」
 
 ――ガシャン、と。
 さきほど撫子を我に返らせたものよりも高く鋭い響きが、やわらかな風合いを帯びていた空気を壊し、ぴりぴりと震わせた。自然すべりおちた央の掌がテーブルにつくのを見送り、撫子は目を丸くして音の主を見る。
 衝撃にゆらゆらと乱れた波紋を描きはじめるコーヒーを見下ろしながら、円は頬杖をついていた。伏せられた切れ上がった瞳には取りたてて感情は見つけられない。ただ何かを思うように静かに視線を落とすだけだ。
 
「…ど、どうしたの? 円」
「ちょっとちょっとー、そんなにしたら割れちゃうよ?」
「ああはい、すみません央。手が滑りました」
 
 言って笑うと、円は備え付けのナプキンでするりとソーサーの縁を拭う。
 
「どうもね。…ちょっと気分が悪いんですよ」
「え…? そんな、はやく言ってよ。調子が悪いの? 大丈夫?」
「平気ですけど」
 慌てて問えば、伏せられていた瞳がふいと上目に投げられる。細めた瞳に宿る光に、ふと見知らぬ色を見るが、そこにある感情までは拾い上げられない。
「風邪、かもしれませんね。最近寒いですから」
「そう…これ以上悪くなったら大変だわ。はやく帰らなきゃ。風邪はひき始めが肝心だもの」
「へー、医者の卵らしいこと言ってくれますね」
「ねえ…真面目に言ってるのよ?」
「いーえ。ありがたくお気持ち受け取りましたよ。これを飲んだら行きましょ、貴女も早く」
 
 叩き置いたカップにもう一度口をつけながら、円は落とすように投げかけた。さりげないようでいて有無を言わせない声音は二の句を告げさせず、流されるように頷いて撫子もフォークを差し入れる。
 何かがそっと欠落したような、奇妙な間だ。違和感を覚えて視線を巡らせれば、央もらしくない面持ちで円を眺めている。
 
「そんな顔するほどのことじゃないだろ?」
 
 咎めるというよりは不安に思うように言って、央は「ごゆっくり」と撫子に微笑んでテーブルを離れていった。問いかけようにも央は既に奥に消えている。
 ふと、流れていた意識を引きもどすものがあった。強い視線が、肌に刺さっていた。
 
「――…まどか?」
 
 細い瞳ではあるが、意思をもって向けられれば異様なまでに胸を掻き乱す力を持つ。それは受け止める撫子が、そこに特別な思い入れを持っているからかもしれない。
 
「……っ…?」
 
 だがそれ以上に、テーブルの下で触れた脚の感触が、ぞわりと背筋を舐め上げた。膝丈のスカートから伸びるほっそりとした撫子の脚に、ごく自然に絡ませられる。
 脚の触れ合いなど満員電車でもままあることだ。けれど深い関わりを持っている者だからこそ、触れている肌が孕んでいるものは雄弁に伝えられた。衣服を通して、薄っすらと張った円の肌を感じた。膝の裏側にするりと、衣類の感触が触れた。なにかを擬態するように刺激を与えられて、びくりと指先が跳ねる。
 
「――やめて…ッ」
 
 そこにこめられているのは明らかに性的な含みで、テーブルの上にかわりなく広がっているあたたかな喧騒が責めるように耳に届いて、かすかに震えて払いのけた。
 くすりと。
 円は、頬杖をついたまま口元で笑って、靴先で脛を撫で上げる。なかば怯えるようにソファで身じろいで、訴えかけるように撫子は目を細めた。受け止める表情は悪戯めいているけれど、その視線はひどく強く、どこか鋭く、肌を焼いていくようだった。こんな悪ふざけを円が仕掛けるのは珍しいことではない。だが本気の拒絶をにじませたにも関わらず、執拗に加えられるのはあまり無いことだった。そもそも撥ね退けながらも撫子は本気で拒絶はしていない。けれど今ばかりは心底、いやだと思った。
 
「こういうのは…今はっ」
 
 ふつふつとこみあげるものを、必死で砕く。
 生々しさは、昨日与えられたものにたわんでいる心には重いばかりだった。ただでさえ混乱している精神を、円の温度はそれを圧倒する力で掻き乱してゆく。この肌にはその力がある。理屈が全く通らない強力さは、今はつらいだけだった。
 
「……【今は】? こういうのって、なんです?」
「……っ。央の店なのに」
 わざとらしい声を出して問う円を睨んで、撫子は言った。反面、言うべきことを言いかねていた矢先で、鋭くなじることもできない。
「央のテリトリーが不満なんですか、それとも央に見られたくないんですか」
 
 たいして意味ないような問いかけを円が重ねる。からかうように触れた脚はそのままだったけれど、声は静かだった。籠もるような、小さな声だった。
「なに――そんなの決まってるじゃない…両方だわ」
 
 甘いケーキの味は口内で虚ろに溶けていくばかりで、央に詫びながらそのぬれた感触を無理やりに喉に押し込むと、撫子はもう一度意思を示して脚を払った。
 円の目が、軽く眇められた。
 
「ま、いーですよ。【央の店】だから不満ってことなら。出ますよ」
 
 撫子の声は待たず、円は空いたカップを置き去ると席を立った。互いに出されたものは一応片づけていたのが、これほどまでに不義理を働いた気持ちで空いた皿を見たことはなかった。どれだけ手間暇かけて造られているのかを知っているだけに、残るものも苦い。
 ファーコートに袖を通した円に手をひかれる。繋がれた掌は温かいけれど、握りしめる力は不必要なほどの強さだった。繋ぐというよりは、捕らえるといったほうが正しい。
 
「ちょっと。円――」
 
 店を後にしようとした時に、背後から少し慌てたように央の声がした。
 
「……呼んでるわよ?」
「そーですね」
「そーですねじゃなくて…ちょっと待ってよっ」
 
 引いて、撫子は目を瞠った。気付いてみればそれは火を見るより明らかなことで、自分の痛みにかまけて周囲に関心を払っていなかったのだと知った。とうの円にさえ。盲信するでもなく反抗するでもなく、ただ必要のないものとして円が兄の声を処理した。
 それだけではない。何かを押し殺すような、空々しさだった。
 
 
 
 
 
 成立しているようで上滑りした会話とともに、冬の道を踏んだ。

「まあ褒めてあげますよ、撫子さん」
 なかば強引に引き込まれた円の自室で、撫子は問うように大柄な彼を見上げた。後ろ手にドアを閉めながら、円は繋いだ手を掴みあげた。引き上げられるように反った背は、壁際に押し付けられた。
「さっきから、無意識にやってることならもはや才能すら感じますね。ほんっと素晴らしいですよ拍手したくなります」
あまりにも刺々しい空気感にかえって背を押されて、撫子は重かった口を開いた。 
「ずっと上の空で、怒らせてしまったならごめんなさい…。悪かったわ」
「…なんで黙ってるんです? 貴女」
 だが捨てるように遮られ、切り出そうとした話は声になれない。
「……え?」
「職場の男にキスされた。あまつさえ想いを伝えられて泣かれて何の文句も言えなかった」
 
 違いますか、となんの揺らぎもなく添えられて、撫子は言葉もなく目を瞠った。想定で問いかけるではなく確固たる事実を語る声に、かえって心は乱れ散った。
 
「……どうして」
 知るはずもないことでちいさく問いかけると、円は乾いた笑みを浮かべる。
「どうしてってね。見てたんですよ」
 ぎり、と掴まれた掌に加減のない力が込められる。
「目立たない場所でもないですし、そんなに驚くことじゃないでしょ? 早めに行き過ぎましてね。……まーあれは偶然じゃないでしょうね。あの性悪そうな男は判ってましたよ」
 ぼくのこと、と円は侮蔑しきった目つきで笑った。関節がこすり合わされて痛むてのひらに息をのみながらも、語られていくことへの驚愕に殴りつけられて、撫子には構う余裕もなかった。知らされた事実に男に耐えがたい怒りが湧きあげるが、それも飛散した。
 円が、乱雑なためいきをついた。ぎこちなく塗られていた絵具が削ぎ落とされていくように、空々しいばかりだった円にありのままの表情が刻まれていく。
 
「ひとの神経を逆撫でする才能をまざまざと見せつけてくださって、感激です」
 
 そして浮かびあがったのは、冷え切った怒気だった。
 
「話そうともしない、そもそも貴女の警戒心のなさからああなったんでしょうに他の男に易々と触れさせる」
「……ごめん、なさい。すぐに言わずに黙ってて、ごめんなさい」
 嫌われてしまうのが怖くてどう言えばいいのか惑っていたのだと、今日会おうと持ちかけた理由を口にしようとしたけれど、ひどく言い訳がましく思えて飲み込んだ。
「でもわたし、隠すつもりなんて」
「そのくせぼくに触れられると心底いやそうな顔をする」
「それは――っ」
 
 こういった口の利き方に覚えがないわけではない。だがこんな、かけらの情も感じられない眼差しで見下ろされたことはない。
 
「…貴女ね。遅いんですよ。言い訳でも屁理屈でも、別にいいじゃないですか」
 何の悪気もなく今日の自分がしたすべてのことが、ひどく彼を掻き乱していたのだと撫子は悟った。
「一刻も早く言えばいい。こっちは頭がどうにかなりそうなんですよ」
 恫喝は、飛ばない。だが弾けそうになる声をすんでのところで抑え込んで語っているような低い声は、無闇な罵声よりもよほど鋭利に、撫子に降り注いだ。
「ああそれとも、あれですか? 説明し難いような、後ろめたい気持ちでもあるんですか?」
 
 場違いに円が笑った。皮肉とも違う、欠損した笑みに撫子は息を呑んだ。怖い、と思った。
 軽く済まされることではないのは最初から痛いほど知っていたけれど、十年近い付き合いになる撫子をもってしても一度たりとも見たことのないような異様さに、足元から震えが這い上ってくるのをまざまざと感じた。後悔は明らかだったけれどここにきてどうしてやればいいのか、痺れたような脳は弾きだそうとしない。
 
「そんなもの、あるはず」
 
 かすれた声は聞き届けられない。
 
「どうせ好き勝手やってるように見えてるでしょうけど、ぼくはずっと、己を律することもしてたんですよ」
「律する…?」
「ええ。でもそろそろ現実でも知っておいてくださいよ」

 
 
 冷たく吐くようでいてなにかに諦念するような口ぶりで、節の張った指が黒髪を巻きこむように輪郭を引き寄せた。強張りついた体を無理に撓ませられて、撫子の顎が浮き上がった。
 
「貴女はぼくにだけ触れて、ぼくのことだけ考えていればいいんです。そうでないと――どうにも我慢がならないんですよ」
 
 それを睦言と呼ぶには、施された口づけはあまりにも暴力的だった。
 
 
 
 
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