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Timeless Sleep

「CLOCK ZERO~終焉の一秒~」を中心にオトメイト作品への愛を叫ぶサイトです。
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【Global Standard?】の後話。
なんですがかなり毛色が違います。しっとりシリアスです。
どこにも踏み込めないおふたり。

 
 

 
 
 人は、外因的な要素に与えられたいくつもの常識に縛られて生きている。
 けれどそれを否定する大義名分を与えられれば、その小さな麻痺の中で容易に自由になることができる。愚にもつかないことを、することができる。
 
 
 
 
 
 
 
 彼の唇は冷たい。
 一度だけ触れたこの世界の王のものよりもずっとそれは軽々しく、いつだって冗談のように触れては離れていくだけだ。児戯にも満たない触れ合い。そのくせ撫子を千々に乱すのは、その冗談のような一瞬だった。
 
「おはよう、レイン」
 
 それにしてもどこまでも触れるか触れないかで、その上相手が外国人でそれが挨拶だと言うものだから始末が悪い。お世話係で主治医という立場上、このところまた足繁く部屋に訪れるようになった鷹斗を除けば、レインは最も撫子の部屋を訪れることの多い人物だ。こうして予告もなくふらりと訪れる。
 
「入りますよー」
 
 カエル君を振りながらレインは、窓辺で振り向いた撫子に笑んだ。
 曖昧に笑みを返した撫子の顎を、ひょいと細い指がすくう。唇に降らされる冷ややかな感触を受け取る。微かな柔らかさと、髪からわずかに香るもの。
 
「――」
 
 肩が跳ねる。その頃にはもうその温度はそこにはない。気まぐれに彼がこんなことをしてくるようになったのは二週間ほど前、――脳の精密検査を受けた日からだ。
 
「…っ」
 
 薄眼に睨んだ撫子に、レインは笑んでもう一度口付けていく。そのあまりのさり気なさは、髪の一筋すら乱してゆかない。
「――おはようございますー、撫子くん」
 言えることなどいくらでもあるはずなのに、雑多に散らばってその瞬間にはいつだって拾い上げられない。その理由などとうに知っているようにも思いながらそっと髪を耳に掛け、空いた間に声を埋め込んだ。
 
「ねえ」
「はい?」
 白衣に両手を突っ込んだまま、レインは首を傾けて問い返した。
「……なんだかレインって、近付くとちょっと甘い匂いがする」
「ん? そうですかー? 甘いもの好きだからですかね」
「お菓子の匂い?」
「あーアメリカのお菓子だからちょっと嗅ぎなれないのかもしれないですね。これならどうですー?」
「んあ? おい、もがが」
 
 何かと思えばカエル君が5百円玉大の小さなビスケットをくわえて差し出している。とはいえ操っているのはレインなのでカエル君にとっては甚だ不愉快なことかもしれないが、撫子が気を取られている内にあまり癖の無い甘みが滑り込んでくる。
 
「――あ。…おいしい」
「でしょー?」
「おいコラ、妙なことやらせてんじゃねーぞ」
「妙なこと?」
 己も自分の手で頬張って口をもぐつかせながら、レインはカエル君の苦情に口角を上げる。
「ああ。すいません、そーんなに嫌だったんですか?」
「ん?」
「…あ、ごめんなさいねカエル君。このまえも」
「!? …いや、べ、別に嫌ってこたねえけど」
「おっとー聞きました? 怖いですねー、まさかカエル君に下心が」
「ああ!? それはおま――むぐもが」
 
 いつもながら漫才を繰り広げるレインとカエル君を見守ろうとしたけれど、何やらレインは無理やりカエル君の口に大判のノートを咥えさせ、撫子の目前に突き出した。
 怒りも露わにうめき声を発するカエル君に呆然としながらも、可愛らしいウサギ柄のノートに心惹かれてそろりと掌を差し出す。ぽすんと、撫子の手元に落とされる。
 
「はい。レイン先生とのお勉強の時間ですー」
「え? 勉強するの?」
「健康な脳はちゃんと運動させてあげないとー。じゃないとせっかくの賢い頭が衰えてきちゃいますんでー。さてさて、何やりましょうか?」
「……算数。算数がいいと思うわ」
「算数…」
 真顔で譲らない姿勢を見せる撫子に、レインは嘆息する。
「残念ですねー、撫子くんに本場の英語を是非とも教えてあげたかったんですけどー」
「おい小娘、こんな奴スルーしてやればいいぜ、スルー」
「ひどいですねー。まあいいですよー。じゃあ三角柱の体積でも求めましょうか」
 
 それは五年の時の学習範囲だが、それも判っているだろう医者の言うことなので撫子も納得するほかなく、素直に鉛筆を握った。浮かび上がる透き通った碧色が目に馴染む。向こうの景色が淡く透けて、そのくせ綴られている文字が読み辛くないのが不思議だった。
 
「――でも、ノートなのね?」
 撫子の向かい側に腰掛けながら、レインは頬杖をついた。
「それ聞きますかー? 算数にしろ英語にしろ、君ノートにかじりついて一生懸命勉強してたじゃないですかー」
 ねえ? と笑いかけられれば言葉もなく、撫子は唇を噛む。
 顔を伏せたままジト目で睨み上げる。
「…ほんと、あれが貴方だって知ってたら、絶対。仲良くなんてしなかったのに」
「ですよねー」
 
 責める響きを受け流すレインに拍子抜けして、意気が下がる。妙な絡み方をするようでいて彼はいつだって本気ではなく、噛み付いてもただ楽しそうに笑って受け止められることがままある。
 ――元々腹が立って言い返しているのだ。溜飲を下げればそれでいいはずだ。けれどそうして落ちた小さな沈黙に身を置いて、惜しむように感じるようになったのはいつからだったか。そのくせ彼の持つ独特の空気感は、撫子の肌になじんでいくようで。
 
「調子はどうですかー?」
 レインは光源を切るとテーブルを挟んで手をつき、ノートを覗き込んだ。
「…うん、全問正解ですねー。えらいえらい」
 
 茶化すように言い添えられる言葉に唇を突き出しながら、撫子はふとノートから視線を上げる。だがこちらを向いているはずのレインと視線は重ならない。不意に髪に手が差し出される。
「――おやー?」
 そこには、精巧な装飾の施された髪飾りがある。小振りの宝石が光を弾き、その周辺を細いリボンが取り巻いている。引き上げるように摘まんだ指先に、顎が軽く浮きあがる。
「リボンしてないと思ったら、こんなのつけてたんですねー。イメチェンですかー?」
「イメチェンって…。そんな悠長なことしないわよ」
「それもそうですね。どうしたんです?」
「鷹斗が、くれたの」
 
苦笑が別種の感情をふくんで少しばかり揺れる。
 一緒にお茶菓子を食べながら他愛もない話をしていた時に不意に、伸ばされた鷹斗の指が、すいとリボンを引いた。ほどけたそれを指に絡めて、髪をおろしても可愛いねと彼は笑んだ。
 
 ――これを君にあげるよ
 
 そっと、慈しむような手付きで髪留めをつけて。惑いながら見上げた撫子に口元に喜悦をにじませて。
 
 ――うん。思った通りだ、よく似合う。すごくかわいいよ
 
 優しげな光を湛えた瞳を、そうしてすこしばかり細めて。
 
「ずっと、…つけててって、言ったの。だから、つけてるのよ」
「へえー…」
 レインは小さく鼻を鳴らしながら撫子の髪留めをすいと指先で撫でると、喉元で笑った。やがてくすくす降ってくる笑いに目線を上げれば、彼は面白げに目をすがめている。
 
「――牽制か天然か。さっぱり判らないのがらしいですよねー」
「……はい?」
「でも物がいいですねー、よくお似合いですよー?」
「…ああ。ありがと」
 
 掬った髪を軽く撫でて、落とす。
 距離感には慣れた。思っているのかいないのか判らない言いようはいつものことだけれど、笑みが浮かぶ。けれど首を傾けるようにすると微笑は、中途半端に潰れた。
 
「鷹斗が」
 言うつもりの無かった言葉が、口の端から流れおちる。
「最近、すごく怖いの」
 
 向かいに腰を落としながらのレインは、瞬いてから片眉を上げる。
「――いやいや。それって最初からじゃなかったですかー?」
「そうだぜー、あいつはどー見てもイカれてやがるぜ!」
 同時にあんまりなことを言う声に、撫子は苦笑して小さく首を振る。
「まあ、それは――そんなこと言ったんだけど。でも最近、その」
 言葉を選ぶような間に、レインは口を挟まない。
「全部、聞いてくるのよ。その日何があって何をして、何処に行って誰と話して、何を見て何を思ったか。そういうのぜんぶ、教えてって言うの」
 
 紅茶のカップを持った傍らに鷹斗は腰掛け、あの見澄ますような瞳が澱みのない愛情でもって撫子を射抜き、ただ淡々と問いを重ねてくる。
囁くような調子は強要するものではないけれど、答えずにいることもまた許さず、その柔らかな支配に息がつまる。その時間を思い出し、知らない間に語尾がゆれた。
 
「それが、怖いわ」
 レインの瞳は変わらず、何か思うようにすがめられたままだ。
「…はー。なんというか、愛ですねー」
 読めない声音で呟くと、撫子のノートの端で長い指がすいと滑る。
「そうかしら…」
「そうですよー。あはは、それで、君はどうしてるんですー?」
 少しばかり質の悪い笑みを添えながら、レインは問いを重ねる。
「その日の一挙手一投足、懇切丁寧にキングに教えて差し上げてるんですかー?」
「…それは。言うけど」
 問い返された言葉に、撫子は唇を食む。
「言いたくないことも、あるもの。私にだって人権はあるはずよ。誰も護ってくれないから私が自分で護りたいところは護るの」
「ごもっとも、ですね」
 
 ひたと見返した瞳の先でレインは小気味良さそうに言って、差し出した掌で撫子の鉛筆をくるりと回した。見下ろしながらふとレインの眉根が微かに寄る。何かを思うように揺れ動いた紅の瞳が、上目に撫子に注がれる。
 
「それなら例えば、貴女がキングに言えないようなことで一日使ってみたらどうなっちゃうんでしょうね?」
「……え?」
 言いながら、レインが首を傾ける。含みありげな間がある。
「キングはどんな反応するんですかね。ちょっと見てみたいですねー」
「――何、それ」
「…本当に? 今の君ならわかるんじゃないですかー?」
 
 ぴり、とこめかみが痺れたようになる。
 煙に巻くような口のきき方をするレインの口元が、からかうように上がっている。何処か常にない声の響きにどうしようもなく含むところを悟ってしまい、撫子の頬に朱が上る。
 
「――…」
 
 そのまま応酬の言葉を発そうとしたけれど、気勢は上がりきらずに、喉元に声が張りついてしまう。首筋がたわんだようになってまともな言葉すら紡げず、もどかしさと悔しさに唇を噛みしめてただ思い切り睨みつけると、レインはからかうような笑みのままでいた。けれどふと、目を細めた。
 
「…そんな顔しないでくださいよ。冗談ですよー」
 
 睨めつける眼差しを、レインは何処かいたわるような瞳で見届けた。
 
「…もう。…信じられない! この前もそんなのだったわ」
「すみませんー、こーいう性格なんです」
 何とか発した声に笑う。
「つまりはこういうどうしようもねー性格ってことだ」
「カエル君うるさいですよー? 否定はしませんけどー」
 カエル君の帽子を引っ張りながら、レインは苦笑する。
「にしても、あれですねー。キングは君の動向が気になって気になってしょうがないんですねー、ちょっとストーカー染みてますけど」
「ストーカーって…」
「おや。否定できますー? 怖いんでしょー?」
「………。…それは…」
 見透かすような一瞥で言われた言葉に、撫子は思わず唇をまどわせる。
 
「それならまあ。打開策は、割と簡単に出ちゃいますよね」
 
 笑んだままぽつり落としたレインに、撫子はかすかに眉を寄せて顔を上げる。
 レインは軽く腕を上げて時間を確かめると、何かを告げるアラーム音が部屋に鳴り響くのに視線を巡らせる。
 
「あー。さーてと。じゃあいってきますよー、ちょっと仕事がありますので」
「あ…ええ。戻ってくるの?」
 いきなりのことに目をしばたたかせると、にやりと笑みが返される。
「おや、戻ってきてほしいですか?」
「…べつにそんなこと言ってないでしょ」
「はは、そうですかあ。ボクも色々やることありましてねー、紙の問題置いていきますからやっててくださいよ。明日は次答え合わせですよー?」
 
 言いながら学校のプリントに良く似たものを彼は机に置いた。ただうつむいて見届ける撫子の額を押し、ひょいと上向かされる。――降ってきたのは、温度ではなく声だ。
 
「じゃ、頑張ってくださいね」
 
 頬に宛がわれたレインの指が、どこか行き場を失ったように一瞬だけ揺れて滑っていく。およそ覚えのない惑いが、冷たい肌を通して撫子に流れ込んでくる。
 終わってしまうと、ふと思った。この吹けば消えるような温度が。どうしてというのではなく、誰が教えてくれたわけでもない。ただ胸が裂かれるような強い喪失感に全身を貫かれて、なかば無意識に撫子はレインの手首を強く掴んでいた。
 
「……っ」
 ぎゅ、と力を籠める。眉をひそめて手を見下ろしたレインは、ややあって口元で笑う。
「おやおやー。どうかしました?」
 
 どこへともつかない憤りや悲しさが、じくじくと撫子の内で脈打っていた。ただ手離せない一身で撫子は、ぎゅうと両手でレインを引き寄せる。
 
「――…引き止められついでに、教えてあげますとねー」
 素直に従いながら唇を吊り上げて笑うと、彼が言葉をつぐ。
「君がいま鷹斗くんを物凄く怖いのは、別に鷹斗くんのせいだけじゃないと思いますよ?」
「……え?」
 引き寄せられた距離を更に縮めて、レインは間近にある撫子の瞳を覗き込む。
 
「君の中に、なにかしら後ろめたさがあるからです。…君は気が強いですけど、原因が君にあったらどうしようもないですよねー?」
 
 ――後ろめたさとは、隠し事と同義なのか。
どんな風に問われて見詰められても、決して知られたくないと願っていることが自分の中にある。それが消えれば、確かに恐怖は薄れるのかもしれない。
 
「――そう、よね」
 
 ここにきて施されようとしているのは優しさだけれど、それにしてもこんな形で見澄まされて与えられるのは嫌だと唇を引き結んで、撫子は笑んだ。
愚にもつかないことだと思いながら、くいとレインの腕を引き寄せた。軽く傾いだ彼へと伸びあがって、その唇を捉える。あわく、触れ合う感触。目尻に彼の髪が触れて、彼がかすかに目を瞠る気配を感じる。
 
「でもこれは挨拶、でしょう?」
 
 とてもそんな風に享受しているようではない声音でそれでも、挑むような目で撫子は言った。白衣を掴んだ手が、僅かにわなないた。
 
「……ハイ。そうですよー」
 
 ふと、眉を寄せるように笑んで。見返していたレインが、撫子の頬に手を添えた。そうして望んだものが与えられる。
 触れ合わされた薄い唇が、かすめるように触れる。ふ、と離されると思った指はけれど撫子の髪に混じり、食むようにもう一度重ねあわされた。角度を変えて、もう一度。息を呑んで肩を強張らせた撫子の呼吸を掬い取るような冷えた唇は、けれど撫子が怯えるよりは早く離れていった。
 
「じゃあ、失礼します」
 
 明るい髪の合間からのぞいた瞳に、かすかに目をみはる。
だが前から気づいていたのかもしれないと、ぼんやり思う。冗談などどこにもありはしない静かな瞳を、けれど撫子は口にはせずにその触れ合いを終わらせる。
 
「ええ。じゃあね」
 
 ――その言葉にくるまれたちいさな虚構の中でなければ、容易に壊れてしまうものなのだと。そのことに、もうどこかで気づいていたから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 人は、外因的な要素に与えられたいくつもの常識に縛られて生きている。
 けれどそれを否定する大義名分を与えられれば、その小さな麻痺の中で容易に自由になることができる。愚にもつかないことをすることができる。
そしてまたどこかで、そんな自分を知覚している。
 


((そんな風に、暴力的な清らかさや正しさが崩れるのを見るのが好きだった))
 
((けれどそんな己も何もかも甘受しようとする聡い瞳に、それ以上何も掻き乱すことなど出来ず、
そのくせ箱から出してやる気にもなれない自分は――― 一体何なのか))
 
 
 
 
【Fake Garden】
 

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