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Timeless Sleep

「CLOCK ZERO~終焉の一秒~」を中心にオトメイト作品への愛を叫ぶサイトです。
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続き。

「……ああ」
笑みは、けれどすぐに口元に帰る。
「思い当たりましたー。さっき、もしかして寝言でも言いました?」
「ええ。…その人と間違えたみたいで、髪も撫でてくれたわ」
 惑いながら答える。なんとなく自己申告するのは気恥ずかしくて撫子が詰まって言うと、レインはくすりと笑った。
「それはぶしつけなことをしちゃいまして。でも恋人じゃないですよー。ていうかすぐそっちに繋がる辺り、君もやっぱり女の子ですねー?」
 
 からかうように語尾を上げるレインに、撫子はさっと頬を染める。
 言われて気付いたが、何も寝惚けて女性の名を呼んだからといって恋人とは限らない。その可能性が高いのは事実かもしれないが、他にも大きな可能性がある。
 ――ボク、これでお兄ちゃんなんですよー
 そこまで考えて、撫子はふとかつてキーホルダーだった頃のレインとの会話を思い出して唇を止めた。思い当たったそれに頷くように、レインは目をすがめた。
 
「ハイ、正解ですー。レイチェルはボクの妹です」
「前に教えてくれたの、本当のことだったのね」
「まあカエル君だと思われてた訳なんですけどねー」
「そ、それははだって…レインが否定しないから!」
「えーボクのせいですか? 想像の翼が羽ばたいちゃっててボクの入る余地無かったじゃないですかー」
 不満気に返しながら、レインは片膝を引き寄せるように抱えると、顎を乗せる。
「それは…そうだけど。でも、妹なんてきっと可愛いんだろうな」
 
「…そうですねー、かわいいですよ」
 
 慈愛すら感じられる響きが、さりげなく残骸に落ちる。
 
「今日が誕生日なんですよー」
「……え?」
 
 誕生日、と。それだけで察することは容易い。そんな日に彼がこんな所に一人きりでいること、そして何処か常ならぬ気配を隠し切れていない事実に、撫子は踏み込んではならない領域だったことを何ともなしに悟って、声を失いかける。己の無神経さを悔いて唇を噛もうとした撫子を、レインの指が弾いた。
 目を向けると、またあの慣れない瞳に出会った。どんな思いも介在できない圧倒的な虚無は、真っ直ぐに撫子に向けられ――けれど指は、するりとやさしく撫子の頬を撫でた。
 
「君の賢いところは好きですけど、それは正解ではないですねー」
「…え、あの、私」
 冷えた長い指は、聡い少女が察しかけた事実を否定するようにくすぐる。
「君の考えてることくらいすぐわかっちゃいますよー。…まあ、あながち不正解とも言いませんけどー?」
 
 紅の瞳はゆるりと笑む。
 
「何処かへ行っちゃったんですよー。だからずっと、探してるんです」
 
 ――それは、行方不明ということだろうか。
意味合いとしてはそうなるけれど、と思いながら撫子はふと円のことを思い出す。円の家族もまた、行方不明らしい。この壊れた世界には、そんな家族が数え切れぬほどあると聞いている。
 
「そう、なの」
 それ以上深く問う気にはならず、撫子はただ頷く。彼の常ならぬ空気は、恐らくそこに起因しているのだろうと少しだけ罪悪感を覚える。
「立ち入ったこと聞いちゃって、ごめんなさい。…でもレイン、きっとやさしいお兄ちゃんだったのね」
「ボクがですか? 兄って感じしないって言われ続けて二五年ですよー」
「ううん――さっき、寝惚けてた時に頭を撫でてくれたけど。恋人だと勘違いしちゃったけど、よく考えたらお父様が私の頭を撫でてくれるときに似てた」
 どんなものからでも護ってくれそうな幸いに溢れた掌を思い出し、撫子は微笑む。
「……きっとまた会えるわよ、私もそう祈ってるから」
 
 平和だったあの世界で長く行方不明というのは、絶望視せざるをえない状況だが、今のこの世界ではどこかで生きている可能性も大いにあるだろう。そう思って心から口にした言葉に、けれどレインは予想外の反応をした。
 この時計塔で会ってから、一切なんの感情も灯していなかった瞳がかすかに揺れて、すがめられる。見通せないが決して温かではない一瞥をレインは撫子にやると、くすりと笑った。
 どこへともつかない笑いだった。
 
「…祈る? 貴女が?」
「……ええ」
 気に障っただろうかと謝ろうとした撫子に、レインは軽く首を振りながらまた笑った。
 
「そうじゃなくてですねー。面白いこと言うなーと。思いまして」
 
 まさか貴女に、と片頬で笑って――不意に。
 頬にあてがわれていた指が髪をすくって、撫子の頭を撫でた。
 撫でるというのとは違うと、すぐに気付く。何かを探るように髪をくぐる指先に、撫子は落ち着きなく身を引くが、存外強い力には許されなかった。
 滑らかな髪を乱しながら、レインの指先は何かを伝った。
 それは撫子の頭部を直線に駆ける、傷痕だ。
深さにそれが刻まれた時の傷を教えられる痕を捉えると、レインは掌を撫子に添える。そうすると傷痕ごと輪郭を包むようになった。
 
「撫子くん、自分がどうしてここにいるか忘れてるんじゃないですかー?」
 ふっと顔を寄せると、レインはそんなことを問い掛けた。
「――ボクが自分の利得のために貴女をどんな風に踏みにじると思います?」
「――え…」
 
 体温が伝わるような距離感と、告げられた台詞に撫子は息を呑む。レインの不思議な色合いをした光彩がよく見える。どこか冷ややかな声の意味が、取れない。
 
「ボクのこと気遣ってくれるのは嬉しいですけど、そういうのって与える相手間違えると痛い目見ますよー? もうちょっと学習して気をつけてくださいねーってもう痛い目見てましたね」
 
 撫子が身を置いている世界にレインは笑って、添えた指に力を籠めた。
覚えのない古傷はちくりと痛んだ。
 
「……痛、」
「あ、痛いですかー? ごめんなさい。まあそういうことですよー」
「何、それ……どういう意味?」
 
 じくりと痛む傷口に、彼の指は冷たい。何かを非難するように低められた声音も冷たく、けれど間近に流れてくる体温だけは温かだった。
薄い唇はかすかに弧を描く。撫子を見据えて彼女の愚かしさを口にする。
 
「ボクはまあ善良な人間だから良いですけど、世の中には自分の望みのためにどんな物でも踏みにじる人間ってのもいるんですよ。…気をつけましょうって意味です」
 
 間近に告げられた台詞は、確信をもったように落とされる。
 ――後者こそ自分のことのような、全てを知るような口ぶりで。
撫子は突然のことに惑いながらもレインを見つめた。間近に覗く双眸は、紅が混じって透き通った色をしている。痛みのようなかすかな苛立ちが、映っているように思えた。
 
「……わかった、わ。もうちょっと、人を見ろってことね」
「…ま、そういうことですかねー」
「……為になる忠告をしてくれた人は、大丈夫な気がするわ。そういう風に相手を選べってことでしょう」
 
 思うことを返して、レインを見つめる。
 レインは撫子の返しに目をすがめると、ややあってかつて傷ついた撫子の傷から、掌を伝い降ろしながら意気が下がったように苦笑した。
 
「そうですねー。そうやってボクのことは盲信しちゃってください」
「…」
「いつか幻滅するまで、ボクのこと死ぬほど信じてればいいと思いますよー」
「なにそれ……いつか幻滅するのは決まってるってこと?」
「さあ。どうでしょう? 貴女次第ですよー」
「…そうね」
 鼻先で流しながらも、レインは己が乱した髪を整えてくれる。
これは妹があったからか、それとも別の理由か、女性の髪の扱いが妙に上手いように思えるレインの掌を受けながら、撫子は上目に彼を見た。
 
「貴方を信じるのも、無駄な心配するのも、私の自由だものね」
「…ええ、勿論ですよー。そう言って頂けるなら、気持ちは有り難く受け取っておきますしー」
 
長い指が髪を梳いていく。触れた指はどこか荒っぽかったけれど、その手付きはいつも診察をしてくれる掌と似ていた。綺麗に髪を整えると、レインは撫子の瞳に目をくれる。
 
「――ボクにはほんと、眩しすぎですけどねー」
 
 ぽつりと呟きとともに彼は撫子の手を取った。
さーもう帰りましょうと、引き上げて瓦礫の中を導こうとする掌に従いながら、撫子は彼がもう一方の手に持った機械を見やる。
 空白を埋めるように執拗に書き連ねられた数式が、何を導こうとしていたかはしらない。
 途切れた末尾をちらと見て画面を消すと、レインはもう何も言わなかった。黙り込んだ掌がやはり冷たかったのできゅっと握りしめてみると、ややあってかすかに温もった彼の指先が応えてくれた。
 
踏み敷いた瓦礫がぐずりと崩れて、寂しげな音を響かせる。吹き抜ける風を縫うように、混濁した空から光が差し伸べられ、二人の白い手を鈍く照らした。ほんの支える程度の、頼りの無い繋がりだった。


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